胎児胸水から3年後

このブログで一番よく読まれているのが、胎児胸水胎児治療の話です。

どういう人が、どういう経緯があって、どういう気持ちで私の書いた文章を読んでいるのか分からないけれど、きっと命に向き合っている人なんだと思う。

すがるような気持ちで何かを探しているのかもしれないし、

先が見えなくて苦しい毎日かもしれない。

私もそうだったから。

私にできることは相変わらず「私の場合、こうだった」ということを、ひとつの例として伝えることくらい。

それが誰かの励みになるかもしれないし、不快になる人もいるかもしれない。

まあ、いろんな人がいるだろうけど、私は等身大で自分のことを言い続けるのみ。

私の考えは極端だと(宇宙人だと)よく褒められるので、あまり真剣に取り合わないでください。

息子のこれまでのはなし。

息子は、胎児期に胎児胸水で死にかけ、

生後すぐに先天性横隔膜ヘルニアという疾患で死にかけ、

生後5ヶ月のときに心臓から出血して心不全になり死にかけ、

それは先天性右心室憩室という世にも珍しい疾患で。

これまで3回、九死に一生をえて、今があります。

出生前診断もした。

出生後により正確な染色体検査もした。

さらにしらみつぶしのような遺伝子検査もここ2年ほど受けてる。

でも、今のところ、どこにも原因が見当たらないんだって。

なんとか症候群とか、そういう疾患名がつかないの。

これだけ珍しい疾患を重ねているのに。

こんな予後があるなんて、誰も予測できない。

染色体の異常とか、異常なしとか、そういう結果はあまり意味がないよって、

声を大にして言いたい。

そんな息子の今。

来週、3歳を迎えます。

1歳のときに身体障害者手帳をとった。

3歳を目前にして、人の勧めもあって療育手帳をとった。

まだ歩くことはできない。

最近やっと、自分のほしいものに手をのばして、引っ張ることができるようになった。

腹ばいになって、頭をぐいっと持ち上げることができるようになった。

「まんまー」と唸るようになった。

(私はママだと信じているけど、夫はごはんだという)

かまって泣きをするようになった。

「いっぽんばしこちょこちょ」の先を予測して笑うようになった。

体重は9キロ超えたところ。

ごはんは離乳食の中期。

見た目も能力も、まだ0歳の赤ちゃんです。

道ゆくおばちゃん・おっちゃんに「かわいいねー」って言われるのも、きっとデカい赤ちゃんだと思われているんだろうな・・。

平均よりだいぶゆっくりだけれど、少しずつ成長していて、それが楽しみ。

3歳のお誕生日、本当におめでとう。

私の気持ちと変化

息子の話をすると、人は複雑な顔をして「大変ですね」という。

ええ。大変です。

病弱だし。

病院に行く回数多すぎるし。

日常の中でいろいろと制約も生まれるし。

先の見えない不安。

この子はどうなっていくのか。

そんな気持ちは何処かにありながら、そこに蓋をして過ごしている気もする。

彼が心疾患で生死の境をさまよっている時、ただ祈ることしかできなかった日々。

もし彼がいなくなったら、何度も何度も手術したり管を入れたり、そんな苦しさから楽になるのか。

私もこんな潰されそうな日々から、気持ちから解放されるのか。

だったらいっそのこと・・・。と思ったこともある。

我が子の死を望むなんて。

理性では否定できるけど、きれいごとだけでは片付けられない複雑な気持ちがあった。

この4年間、彼という存在を通して何度となく命と向き合ってきて、

自分は幸せだと心から実感した。

彼のお姉ちゃんである長女は、健康で賢くて優しい子だけれども、もしこの弟くんが生まれなかったら、私は今のような幸福感を感じただろうか?

上手く整理できないし、表現できないけれど。

当たり前のことは当たり前ではないということがわかった。

健気に一途に日々を生きる。

ただそれだけで、愛おしいし尊い。

息子に対する気持ちに似た詩があるので引用します。

天国の特別なこども

会議が開かれました。

地球からはるか遠くで

“また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”

天においでになる神様に向かって 天使たちは言いました。

“この子は特別な赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。

この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。

もしかして 一人前になれないかもしれません。

だから この子は下界で出会う人々に

とくに気をつけてもらわなければならないのです。

もしかして この子の思うことは

なかなか分かってもらえないかもしれません。

何をやっても うまくいかないかもしれません。

ですから私たちは この子がどこに生まれるか

注意深く選ばなければならないのです。

この子の生涯が しあわせなものとなるように

どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。

神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。

その二人は すぐには気がつかないかもしれません。

彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。

けれども 天から授けられたこの子によって

ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。

やがて二人は 自分たちに与えられた特別の

神の思召しをさとるようになるでしょう。

神からおくられたこの子を育てることによって。

柔和でおだやかなこのとうとい授かりものこそ

天から授かった特別な子どもなのです。”

(Edna Massimilla 作 大江 祐子 訳)