起業も仏像の研究も、根本はそんなに変わらないと最近よく感じます。
だから私は今、起業支援に面白さを感じて、取り組んでいるんだなーとも。
起業したいという方たちから、「本当に自分に起業ができるの?」「向いてないかも・・・」と
不安や悩みを聞く機会も多いのですが、その迷い、よーーくわかります。
突き進めば自ずと道は拓けるのにー。と思う今日この頃。
ということで、かつて迷いに迷っていた私が、迷いも葛藤も振り切った頃の話。
仏像大好き!だった私は、もっと研究を掘り下げたいと思い、
大学卒業後、そのまま大学院に進学しました。
ところが、周りの同級生がみな就職して、社会人になって、お金も持つようになって、
ビジネスの話とかし始めるようになって。。。
新しい世界に入った友人たちと、まだ学生で子どもである自分とを比べて、
ものすごい焦燥感と、迷いが生じました。
文系の大学院を修了しても、一般企業への就職は難しいと言われています。
かといって、研究職や専門職への就職は狭き門。
40代・50代になっても非常勤という人はざらにいる世界です。
「私、本当に研究がしたいんだろうか?仏像が好きなんだろうか?」
「ただモラトリアムの口実として、進学を選んだのでは?」
「このままで私、ちゃんと就職できるんだろうか?」
「本当は何がしたいんだろう?」
バリバリのキャリアウーマンの華やかな世界にあこがれていたこともあり、
今ならまだ間に合うのではないか、と迷いに迷う日々。
自分の本当に好きなことが分からなくなり、将来の経済的不安がぬぐえなかった大学院1年目でした。
そんな大学院1年目が終わりに近づく頃。
「教え子が領事をしていて、いま領事館で人を探しているみたいなんだけど、アナタ勤めてみない?」
と、某大先生からお声がけをいただきました。
院の単位は全部取り終わっていて、あとは修士論文を書けばいいだけという状態だったので、
学費の工面もしなきゃいけないし、領事館で働くなんて滅多にできない経験だからってことで、
2年生になる直前から、フルタイム勤務を始めました。
月曜日から金曜日は満員電車にのって、痴漢にもあいつつ、奈良から大阪へ通勤。
夕方5時にオフィスを出て、急いで奈良に戻って、閉館直前の大学図書館へすべりこみ、本を借りて帰宅。
平日の夜と、土日の休みには、文献を読んで修士論文を書きました。
(指導教官が、よく土日に時間を作って、指導してくださっていたのも有難い話。涙)
修論提出前の休みが年末年始の4日間だけだったので(某国は旧正月が休みになります)、
不眠不休のラストスパートで書き上げました。
体の使い方を忘れて、過呼吸になったほどw
少しでも時間があれば研究したい、論文を書きたい。
まったくストレスにならなかったです。苦しいけど、それを上回る楽しさがある。
一旦その世界から離れてみて、自分の好きなことがよくわかったし、
経済的な安定よりも大切にしたい価値がクリアになりました。
時間的制約があるなかで書き上げた修論は非常に評価されまして、華やかに学会デビューし、
領事館を辞めて、研究に専念することを決意しました。
そんな折に、師匠から呼び出されていただいた言葉があります。
日々ひたすら文献を読む。
すると同じ場所に座っているから畳が腐る。
研究とはそんな世界です。
君はそういう世界に入ろうとしている。
しかし、就職の保証はない。
収入も厳しい状況になるでしょう。
その先に何の保証もありません。
それでもよければ、やりなさい。
僕は引き返すことを勧めます。
私は忠告をまったく聞き入れず突き進みました。
もう誰に何と言われようと、先行き不安定でも、やめるなんて選択肢はなかった。
突き進んでると、いろんな人が助けてくれて、仕事もくれて、
結果、うまくいったなぁと思い出します。
失敗とか成功とか、周りと違う生き方だとか、考える余地がありませんでした。
起業したいと思ったら、突き進めばいいのかなと思います。
周りが止めても、止められないくらいの自分の中の衝動があったら、突き進むしかない。
先の不安とかを頭で考えるから複雑になっていくのであって、
シンプルに、気持ちに忠実に向き合うと、ひとつひとつやっていくしかない。
やってみて、迷ったり自信がなくなったりしたら、立ちどまって止めてみるのもひとつかも。
身の丈で、目の前のことに打ち込んでいたら、失敗することなんてないのだから。
あの頃の充実感と幸福感が、今のわたしを深いところから支えてくれていると実感しつつ。