九州国立博物館は開館10周年。
記念特別展『美の国 日本』を見に行ってきました。
日本の美の変遷を、国宝と重要文化財を駆使して可視化したような贅沢な展示。
美やアートの出発点は「信仰」にあるんだなぁと、改めて思いました。
見ごたえ十分!!
多くの人に見てほしい展示なので、勝手に「みどころ3選」を紹介したいと思います。
(私が参観したのが11月12日なので、その時点で出品してあった作品の中から紹介します)
1.遮光器土偶(縄文時代/青森県出土)
展示室に入って、一番最初に目に入ってくる作品。
なおかつ、おんとし4歳の娘が見るなり「ドラえもんにでてきたやつだー!!」と叫んだ作品。
それから、「ねえねえ、これ、うちゅーじんだよね?うちゅーじんだね?」と。
遮光器(しゃこうき)土偶とは、縄文時代晩期に東北地方で作られたタイプの土偶です。
4歳児が無邪気に「うちゅーじん」というのもわかるような、
地球外の何かっぽいかんじも否めない。
どうしてこうなっちゃうんでしょうねー。
私、常々、縄文の土器や土偶を見るたびに、絶望感を感じます。
その絶望感とは、どう足掻いても感情移入できない、分断された壁みたいなもの。
仏像とか絵画とかは、表現されている質感や作り手の美意識みたいなものに触れることができる
=作品に感情移入できるんです。
でも・・!縄文の作品にはそれができない・・・!
どうしても、作り手の意識がわからない。
昔の人は、現代人の感覚では計り知れないような精神性をもっていました。
現代人とは視点がちがう。作品にも、それが表れています。
だから、現代の感覚をもってあーだこーだ論じるのはとても危険で、注意が必要。
縄文だけは本当に理解不能。どうやったら感じることができるんだろう。
ちなみに、これを読んで行くと縄文時代に親近感がもてますよー。→ はじめての中沢新一。
2.久隔帖(平安時代)
久隔帖(きゅうかくじょう)は、天台宗の開祖である最澄が、
空海のもとにいた愛弟子の泰範へ宛てた手紙。
現存する唯一の最澄自筆の書状で、最澄のマジメな人柄が文字に出ていて、
切なさすら覚えます。。。
最澄と空海、ふたりは同じ遣唐使船に乗って中国へ渡りました。
最澄は超有名なエリートとして国費で。空海は放浪していた無名の僧として私費で。
国費だったために1年で帰国しなければならなかった最澄と、
2年の留学で密教を学び、日本に持ち帰った空海。
最澄は7歳も年下の空海に、驕ることなく、礼儀を尽くして教えを請います。
この書状のなかでも、「大阿闍梨」の語の前で改行しており、
空海へ敬意をあらわしていたり、細やかな心遣い。
(目上の人に手紙を書くときは、相手の名前を文頭にもってくるのは礼儀。
知らない人が多いけど)
超エリートならではの心の余裕というか、見栄とか虚勢がありません。
経典の貸し出し依頼を繰り返していたら、とうとう空海に貸し出しを断られ、
それでもめげずに愛弟子の泰範を
「いろいろ学んできて帰ってシェアして!」
と空海のもとに送り込んだけど、
泰範はそのまま空海のもとに留まり戻らなかった。。。
という、ちょっと切ないエピソードもある最澄。勉強熱心で真摯な人柄なんですね。
最終的に2人は絶縁してしまいますが、
それぞれのスタンスの違いというのは、いつの時代もあるんだなぁということにまで
思いを巡らせてしまった作品です。
3.重源上人坐像(鎌倉時代/奈良・東大寺)
重源(ちょうげん)は、源平の争乱で焼けてしまった東大寺を復興すべく、
資金調達や人材確保、行政との折衝などを行った
東大寺復興プロジェクトの統括プロデューサーです。現代風に言うと。
統括プロデューサーに就任したのが61歳のとき。
それから一大事業を成しているんだから、すごいバイタリティーです。
この像は、たしか80歳前後の姿だったと思います。作者は運慶と言われております。
動き出しそうなくらい、すごーーくリアルです。
衣の重量感も、痩せこけた首筋や丸まった背中。
人体構造を正確に把握して、ここまで表現できる仏師なんて、運慶以外にそうそういない。
痩せた体躯に比べて両手がむくんだように大きいのは、
胃腸の病気だったんだと聞いたことがあります。
360度、各方向から鑑賞してみてください。スキがないです。
重源という人は、自分のあだ名を「南無阿弥陀仏」としたり、
「こんないいことをしましたリスト」を作ったり。
昔からかなり気になる人物です。
ほかにも見ていただきたいものは山のようにあるのですが、断腸の思いで3つだけ。
美術鑑賞は、時代をこえて人間と出会う旅。みなさんもぜひ、出会ってください!
「美の国日本」は11月29日までの開催。
平日のお昼過ぎが比較的混在を避けられると思いますよー。