2016年は理と空の中道で。

謹賀新年。

 

ご挨拶が遅れてしまいましたが、昨年末に第二子の長男を出産しました。

難病を抱えて生まれてきたわが子は、生後1日で4時間の手術を乗り越え、

3週間足らずで退院してくれました。

退院まで早くて1カ月、長くて半年~1年かかるとも思っていたので、

一緒に自宅で年越しができて、いい一年のスタートをきることができました。

多くの方の支えがあってこそと心から思います。

どうぞ、家族ともども、今年もよろしくお願い申し上げます。

 

今回の妊娠から出産まで、本当にいろいろなことがありました。

たくさん考え、悩み、葛藤しました。

流産も覚悟したし、人工死産の選択も考えました。

命と向き合う葛藤をやわらげてくれたのは、同じような経験をした友人の励ましや、

何があっても黙って話を聞いてくれる、寄り添ってくれる人たちの存在でした。

その葛藤の中から、一つの命が何の障壁もなく、健康で生まれてくること自体が、

当たり前のことではなく奇跡なんだと本当によくわかりました。

また、社会制度の穴というか、マイノリティの行き詰まり感というのは、

私たちが知らないところに、まだまだ存在するということにも気づきました。

 

声にならない声。

スポットライトがあたっていないところ。

社会問題として取り沙汰されていないから、多くの人が知らない部分。

 

今回の経験でそんな部分を垣間見たので、当事者として出来ることとして、

まずは書き残しておきたい。

そして、その解決にむけて、どんな可能性があるかということを模索していきたいと思います。

喉元すぎて忘れないように。

 

息子は先天性の難病以外にも別の疾患が見つかっており、

1歳頃にまた大きな手術をすることが決まっています。

心配のあまり、「そんな大変な病気を抱えていたら、しばらくはまともに働けないよね」

と言った人がいました。

一般的にはそうかもしれない。でも、私には意外な一言でした。

どんな環境でも、条件に縛られず、自分のライフスタイルを創っていくのが私のテーマ。

こんなときこそ、攻めの姿勢で。

雇用されていないというのは、こんなときに役立つなーと思います。

(家庭の状況に応じてワークスタイルを差配してくれる企業もあるのかもしれないけど)

前置きが長くなってしまいましたが、葛藤の日々についてはまた次回。