亡命への21日間。サスペンスのような現実の話

ダライ・ラマ14世といえば、

インド・ダラムサラに亡命中のチベットの最高指導者。

その半生や活動については、数多くのドキュメンタリーや映画、著書などがあり、

チベットと名のつくものはことごとく見てきた私ですが、

BS世界のドキュメンタリー「ダライ・ラマ 亡命への21日間」は何気にすごかった。

臨場感たっぷりのドキュメンタリーでした。

ダライ・ラマ 亡命への21日間

1959年3月10日。中国・チベットのラサで動乱が起きた。中国軍による制圧を前に、チベットの宗教界・政治界の最高責任者となっていたダライ・ラマ14世は、身の危険を避けるためにインドに亡命した。それから半世紀。アメリカの元CIA局員が口を開いた。「亡命そのものはダライ・ラマが自ら決心した。だが、われわれは事件の2年前から、中国共産勢力の浸透を挫くべく、チベット支援作戦を展開していた」。

 

中国共産党がチベットを徐々に侵略していく様子、

中国に疑心を抱かれないための駆け引き、

ダライ・ラマ法王のラサ脱出から、

ヒマラヤを超えてインドへ亡命するまでの21日間を追った内容です。

亡命にあたっては、CIAが資金面やインド政府との調整など全面的にバックアップしていました。

どっちに転ぶかわからないから、作戦は「サーカス」と名付けられたという。

それにしてもCIAってば、チベットの若者を秘密裡に太平洋の南の島に連れていき、

ゲリラ訓練や無線技術を習得させ、また秘密裡にチベットに戻すって。。。

映画のような世界は現実にあるのねー。

 

脱出までの間、ダライ・ラマ法王は中国共産党と闘うチベット人を「反動分子」と呼び、

共産党幹部との手紙のやりとりのなかで、中国に従属する意思をみせます。

 

私は時間をかせぐために、彼の手紙全部に返事を書いた。

それは、双方の怒りをさますための時間と、私がラサ市民に節度ある態度をとるように強く勧めるための時間であった。

私は、彼を落ち着かせるかもしれないような書き方で返事をすることを決定した。それは、私が彼の同情を受け入れ、彼の忠告を歓迎しているかのように思わせることによってのみ可能であった。

-ダライ・ラマ著『チベットわが祖国―ダライ・ラマ自叙伝』

 

嘘も方便。

相手を刺激しないように努めながら、夜中にこっそりと、ほぼ無一文でラサを脱出します。

インド亡命前日に、アメリカ時間の夜中に

亡命許可の連絡をしたというエピソードも意味深いなぁ。

夜中の連絡だったから迅速に亡命できたっていう。

昼間に連絡したら、官僚主義的な手続きで、何時間も待たされたあげくに

亡命はかなわなかっただろう、という話。

これは小説でも映画でもない、50年以上が過ぎてもまだ解決の糸口がみえない現実の話です。

 

より多くの人にチベットを知ってもらって、関心をもってもらえたらいいな。

このドキュメンタリー、おすすめなので是非みてください!

https://www.youtube.com/watch?v=dWq0b3uC0Xs