たかが日常、されど日常。

 

昼過ぎから夕方にかけて台風上陸か?という日。

何の迷いもなく、出勤準備をして上の子を保育園に連れていったところ、

保育園の入り口に張り紙があって、

 

「警報発令中。自宅待機してください」

 

そっかー。そうだよねー。

 

職場に今日は休みますと電話をして、上の子を連れて、入院中の下の子の様子を見に行く。

途中、病院のドクターカーとすれ違う。

 

わずか3ヶ月前、心臓手術のための転院の際、3時間あれに乗って行ったなぁ。

あの時はいつ急変するかわからず、毎日そわそわしていたなぁ。

息子は苦しかったり痛かったり、大変な思いをして、

今こうして生きていてくれているんだなぁ。

瞬時にあの時の気持ちがよみがえってきて、涙があふれて危険運転。

 

「癒し系」または「天使ちゃん」と定評のある息子と病院で数時間過ごし、

暴風雨のなか帰宅する。

 

帰宅するなり、上の子が

 

「ブッダみたい!ブッダみせて!」

 

と騒ぎたてる。30分スルーしてみても、「ブッダ!ブッダ!」と食い下がる。

ドラえもんとか、ポケモンとかではなくていいの・・・?

5歳児のチョイスとしては少数派だし、なぜ突然ブッダなのかも謎だけど、

Amazonプライムビデオで手塚治虫の「BUDDHA」を観る。

 

一緒に最後までがっつり見てしまった。

 

身分やしがらみで、真意とはちがう振る舞いをしてしまうが、その実、苦しんでいる人。

「自分」からみると、許せない悪。

しかし視点を変えると、憎悪しているその相手が、不幸ではないと誰が言えるのか?

みんなどこかに苦しみや悲しみを抱えて生きている。

生きとし生けるものは、みんな作用しあって、何かに資するもの。それが摂理。

自分の役目、使命をはっきりと認識できれば、

生、老、病、死、すべて心穏やかに受け入れることができて、邪念が消え、

使命に集中できる。

 

石田尚豊先生の『空海の起結』で読んだ空海の生き方にも通じるものがある。

「使命」というものを、私はどう見つけ、どう遂行していくのか。

それはある程度の苦行の末にあるのかもしれない。

 

私の子どもたちは、生まれてからこの瞬間まで、

この上ない喜びと幸せな時間を与えてくれた存在。

生まれてすぐに一生分の親孝行をしてくれたんだ。

 

というようなことも、いろいろと考えさせられた作品だった。

 

奇しくもドクターカーとブッダを同じ日に見たことで、

その日常は普段よりも少しだけ印象深い日常となった。

 

そんな娘は今、39度発熱中。。。

高熱でもピョンピョン跳ねまくって元気すぎる。

また仕事を休むことに。思いもかけず6連休だ。