仏像の姿かたちには、「美」が表現されています。
それはつまり、造られた時代の「美人観」の表れである
ということを知ったのは、小杉一雄先生の著作でした。
小杉一雄『奈良美術の系譜』(平凡社、1993)の
「中国男性の美人観による痩せた百済観音と肥えた薬師寺吉祥天」
という論考。
本質をつきながらも、平易な文章でわかりやすく、
シニカルな書きぶりがクスっと笑えます。
日本の天平時代に当る中国の唐代に起ったらしい、女性形仏像の体型急変の原因を探るには、当時の男どもがどのような女性を美人としていたかを見る必要が生れてくる。
中国では元来、スリム美人が受けていたけれど、
楊貴妃の頃は豊満美人がもてはやされるようになりました。
それは、明器の俑(副葬品の人型)を見ると明らかです。
中国では紀元前300年頃の荀子という人が、
楚の荘王が細腰の女性を好んだため
後宮の美人に飢え死にするものが出た。と書いていますが、
2000年前も今も、人間の欲求は変わらないことを思わされます。
男性に気に入られるため、という動機が現代ではやや時代遅れか。
というところでしょうか。
古代中国にも尖っている女性がいて、
後漢の孫寿という人は相当な美人だったようですが、
その美貌を武器に、驚きの時世粧(流行ファッション)を発明しました。
愁眉(しゅうび):眉を八の字にひそめた形に描く
啼粧(ていしょう):一度化粧を仕上げてから、眼の下の化粧を、涙を拭った風に拭き取る
堕馬髻(だばけい):馬から降りたはずみにがっくり傾いたような形の髻
齲歯笑(うししょう):虫歯の痛さをこらえて笑うような笑い方
折腰歩(せつようほ):腰を痛めたような覚束ない歩き方
・・・想像すると、危なげな人にしか思えませんが、
都は変な笑い方をする女性で溢れかえったものと思われます。
史家に「よく妖態をなす」と酷評されたのも、
今なら頷けますが、当時は「時代遅れのジジイが言ってる」
てな感じだったのかもしれません。
この奇抜なファッションの追い求めた美的な感覚って
一体何なんでしょう。
さてさて話を仏像に戻して、
男の中の男たる如来に対し、菩薩は女の中の女たることが望まれて、その女性化は極端に走ることになった・・・中国では男どもの美人観が、女性形仏像に対して強い影響力を発揮することになった
たしかに、ガンダーラの仏像は「男の中の男!」ってかんじの
イケメンですな。
マトゥラーや中国では、なぜあんなに女性化してしまったのか。
中国だけではなく、日本でも、
仏像を見るときには時代の「美人観」を感じながら見てみてください。
仏像の作られた時代の様式というものが理解できるかと思います。