母親は「こうあるべし」に思うこと

小児科の待合いにいると、

同じく順番を待っている見知らぬお母さんと話し込むことがあります。

待つ時間が長いから、いろんなことをお互いに話します。

主に子どもの病気のこと、生い立ち。

大抵、重い病気や疾患を持つ子が多い。

そして自分自身のライフスタイル。

 

私がフルタイムで働いていることを知ると、驚く人が多いんです。

反応はだいたい二つ。

「私は子どものことが一番だから、子どもを置いて働くなんてありえない」

「元気でる!私も自分のこと頑張ろう」

 

「こんな子がいるのに、よく働いていられるね」

って実際に言われたこともあるくらいだから、心の中で思っている人は

その実もっといるんだろうと思う。

(愚弟には「おまえ、頭のネジおかしいだろ」と言われた。はは。)

 

能天気に、自分勝手に生きているように思われがちだけど、

7割くらいは当たっているけど、

3割くらいは葛藤だってしておりまする。

 

仕事と家事と育児で毎日へろへろだし、

本読んだり論文書いたりする自分の時間は取れないし、

フィールドワークにも出かけられないし、

仕事だって子どもの病院続きで休みがちになることが多く、

思いっきりできない。

はっきり言って、何もかもが中途半端。

もっとこうしたい、こうできたらいいなぁ。

という思いは募るけれど、今はできないことを

自分で理解し、納得しています。

でも常に「すきあらばっ」て思いだけは持ち続けているわけです。

 

一方で、子どもとの時間もかけがえのないもので、

時間さえあれば、子どもとキャッキャッ、うだうだと遊んでいたい。

家事、掃除、炊事、離乳食作り、上の子の行事など、

やらなきゃいけないことがオンパレードなので、

家にいる方が忙しかったりしますが。

 

自分の夢やキャリアも大事にしたいけど、子育てもやりたい。

何かを諦める必要もなく、

そのスタイルを批判される必要もないんだと思います。

でも、時間には制限があるから、私は「やらないこと」を決めました。

無意味だと思われる嫌な仕事はやらない。とか

付き合いの飲み会は行かない。とか。

自分勝手だと思われても、時間が惜しいんだもの。

周りの人のために資する時間だったら、惜しまないけれど。

 

なんで男性(父親)だと当たり前に許容されるのに、

女性(母親)であるばかりに批判されなきゃいけないんだ

という、ルサンチマン的な部分が私にあることも確かですが、

その「こうあるべし」という感覚は

今の時代だから、もしくは日本だから起こりうることで

時代が経てば、きっとその価値観も大きく変わるはず。

 

家事育児は女性が主体で、

よく「手伝う」夫とか「イクメン」とか自体が

そもそも何だか古き悪しき伝統のような気がしてなりません。

 

一人一人が精神的に自由で、自分自身をしっかりと生きることを

本気で目指したら面白いだろうな。

私の道のりも遠いけれど、葛藤しながら明日もダッシュで頑張ります。