知ろうとしない罪

普段、仕事をする上で、尊敬できる人たちが多数いる。

大先輩のベテラン学芸員から、同世代の研究者まで、

「こんな風に考えればいいんだ」

「活躍しているなぁ、私ももっと頑張ろう」

という気持ちになれるのは、とても幸せなことなのだろう。

「仕事は妥協の産物」

という口癖の上司がいる職場は荒野のようで、

夢も希望も生えそうにないけれど(超絶ブラック)、

そんな風土の職場にも唯一、尊敬できる年下の人がいる。

彼女は誰もが羨むポストにつきながら、それを驕ることはなく、

とても謙虚で、人の話をとにかく真剣に聞く。

「私は未熟だから」と周囲に教えを請い、とても素直。

でも芯はしっかりしていて、自分で思考し、意見を率直に述べる。

「彼女はまだ若いから云々」というおじさん達を横目で睨みつつ、

私はとっても頼りにしているし、見習うところが多い。

一方で、自分が過去に関わったわずかな事例をもとに、

考えが凝り固まっている人もいる。

若いのにもったいない。

というか、若さゆえなのか。

人の話を聞かず、知識もスキルもないのにプライドだけで仕事を進めようとする。

根拠もなく自信満々。

でも経験が足りないから、実際には上手くいかなくて行き詰まる。

必要に応じたコミュニケーションが取れない。

指示したことしかできないし、自分で考えることをしない。

結果、人の意見に左右される伝書鳩のようになってしまい、

仕事の中身とクオリティがどんどん歪んでいく。

そんな若人をけっこうみた。

本人の信念がないままに総意をとってしまうと、中途半端なものに仕上がる。

あれ?

「妥協の産物」と同じ結果になってる?

私も、20代のときは相当プライドが高かったので、気持ちがわからなくもない。

だから言いたいんだけど、

自信満々でもいい。野心家でもいい。

自分至上主義でもいいよ。

その代わり、知識や経験がない分、懸命に勉強して、

誰にも突っ込まれないように周到に外堀を埋める努力をしてよ。

自分に足りないものは足りないと認めて、それをバネに成長できるのに。

そういう根性があれば応援するよ。

「え?そんなことも知らないの?」

と言いたい。無性に言いたい。

でも、周囲に嫌なやつと思われたくないから言わない。

ソクラテス先生に叱られそうだし言えない。

私には言ってくれる人が側にいた(というか、いまだに言われる笑)。

それはとても有難いことだと思う。

今こそソクラテス。

自分自身が無知であることを知っている人間は、

自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。

唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である。

ソクラテス

この世界は知らないことに溢れている。

知っていることに執着せずに、井の中を抜け出して、

知らないことに目を向けよう。

心踊る知の海は広大で、目の前に拓けているのだから。